コラム 『白ヒゲの言いたい放題』
No.44 阿蘇、天草で地域医療の現場を訪ねて
先日、熊本で開催された国立病院総合医学会講演の前後に、阿蘇と天草の地域医療の現場を視させていただいた。共に交通の便が悪く過疎も進み、医療職のマンパワーも足りず経営的には厳しい地域である。
まず、来年には新千円札として登場する北里柴三郎記念館を訪れた。本来なら第1回ノーベル医学生理学賞を受賞したであろう英才で、日本医師会を創設。北里大学や慶応大学医学部、結核研究所設立など私は日本のレオナルド・ダヴィンチと。ひ孫の英郎氏から丁寧に御案内いただいた。奇跡的らしいが、迎賓館から小国富士と呼ばれる湧蓋山がその全容を見せてくれた。
その後、阿蘇医療センターの甲斐院長や小国公立病院事業管理者の片岡先生、院長補佐の玉飼事務局長も交えて地域医療を語り合った。そして病院視察。コロナ対応でも全力で頑張っている現場を堀江院長、河津総看護師長の説明で視察。その後、赤穂市の姉妹都市である山鹿市にある山鹿市民医療センターを高木院長の御案内で視察。ここも地域医療の中核病院。
講演の後には天草市立病院事業管理者竹中先生の御案内で天草市立の来栖、親和、牛深、河浦の4病院を見せていただいた。どこもコロナに対応。それぞれが広い島の入り江や狭い平地にあり、直線道路はない。精神や老人病院以外の民間病院は人口の多い旧市内にしかなく、公共の交通機関も乏しい。統合は無理で機能分化、ダウンサイジングしか道はないとの竹中先生の考えを身をもって感じさせられた。
阿蘇や天草のいずれの病院も、地域医療構想指定病院に決めた霞が関のお役人に見せたい現場であった。土曜日にもかかわらず多くのスタッフが休日返上。救急車や発熱外来への患者も次々と。なくてはならない病院と痛感した。公立病院改革プランは強化プランに。是非とも種々の施策で地方の生き残り、そして最重要と考える医療・介護を支えていただきたいものと痛感させられた熊本の旅であった。